アソビで世界はもっと良くなる。 アソビで世界はもっと良くなる。

Episode of0→100

  • 1902年~

    問屋を営む家庭に、その少年は生まれた。
    現在のタカラトミーグループの起源、
    富山玩具製作所の創業者 富山栄市郎である。

    9歳の時に印刷工場で奉公をすることになりましたが、そこで出会った大学生から読書の楽しさや学ぶことの面白さを教わり、外国の雑誌に載っているおもちゃなどを見ては、「いつかモノを作る仕事がしたい」と思うようになりました。

    11歳になった富山栄市郎は、自ら希望しておもちゃの製作所で奉公することになりました。親方のもとで色々な作業を教わる中で、モノづくりの魅力にどんどんと引き込まれていきました。

    16歳になった頃には、親方に代わって製作所を切り盛りするほどに成長し、おもちゃづくりに没頭する日々を送っていました。
    「いつか玩具界の王様になる。」そんな夢を胸に抱き始めていました。

  • 1924年~

    関東大震災の翌年。
    自分の作ったおもちゃで子どもたちを元気にしたい。
    その想いから「富山玩具製作所」が始まった。

    奉公を終えたあとも一人の職人として製作所で働き続けていた1923年。関東大震災が発生し、下町を中心に甚大な被害をもたらしました。下町にはおもちゃの製作所が集中していたため、業界の復旧は困難を極めました。
    彼が当時働いていた製作所は幸運にも大きな被災を免れて、他の製作所が復旧するまでの間、一帯の注文を一手に引き受けていました。
    「自分の作ったおもちゃで子どもたちを元気にしたい。」
    その想いを胸に、目が回るほどに大忙しな毎日を過ごしていました。

    かねてから独立を考えて資金の工面に奔走していた富山栄市郎でしたが、翌年の1924年2月2日。ついに自らの会社となる「富山玩具製作所」を創業します。現在のタカラトミーグループの始まり。21歳の冬のことでした。

  • 1949

    独立、結婚、世界恐慌、戦争。
    決意と覚悟が様々に折り重なるなか、
    ただひたすらに、おもちゃの可能性を信じた。

    記念すべき第一号商品として発売した、ゼンマイ仕掛けの自動車“インディアン号”は国内外で人気となり、富山製作所は早速大きな成長を遂げます。
    一国一城の主として順調な船出をして1年が経とうとする頃、持ち上がった見合い話から結婚に至り、所帯を持つこととなりました。結婚後も日々おもちゃ作りに没頭し、糸吊り旋回ゼンマイ複葉機“ブレゲー”など、時世を反映した人気商品の数々を世に送り出すなか、米国ウォール街の大暴落に端を発した世界恐慌の波が日本にも押し寄せます。それから数年、日本経済が復調の兆しを見せつつあった最中、今後は日中戦争が勃発します。おもちゃの材料となる金属は武器製造に使用され、おもちゃづくりの機材さえも没収されてしまいました。
    「平和でなければ、おもちゃは作れない。」そう強く感じた富山栄市郎は、おもちゃづくりを一時停止することにします。

  • 1950年~

    再出発のとき。
    おもちゃ業界を発展させるために、
    試行錯誤の末に射し込んだ光に向かって。

    終戦から4年が経ち、ようやくおもちゃづくりを再開することができました。富山栄市郎はこの日を待ちながら4年間考え続けた想像を超える数々のアイディアを次々と形にしていきます。
    その1つが、当時世界最大級のフリクション玩具「B-29」。日本を敗戦に追い込んだ戦闘機を最高の技術でおもちゃにし、世界の子どもたちを驚かせようとしていました。
    狙い通り、国内はもちろん海外でも爆発的な人気と称賛を得ると、その後は販売会社の設立、海外輸出の拡大、主力商品の開発と、市場での存在感を大きくしていきます。
    これまでの功績から玩具組合の理事長に就任した富山栄市郎。次なる目標はおもちゃ業界全体の発展でした。
    終戦から10年が経ちながらも、おもちゃ業界は不安定な経営基盤の町工場の集合体にとどまっていました。
    大手鉄鋼メーカーとの直接取引、おもちゃ製造工場の集団化・まちづくり構想など、富山栄市郎が実現したさまざまな取り組みは、
    町工場を守り、成長させるためだけではなく、世界中の子どもたちに優良なおもちゃを届けるために繋がっていきました。

  • 1973年~

    「自分の作ったおもちゃで子どもたちを元気にしたい。」
    その視線の先には、世界の子どもたちがいた。
    タカラトミーグループの“いま”に繋がる想い。

    「世界中の子どもたちに私たちのおもちゃを届けたい」と願い、プラレール、リカちゃん、トミカなどの主力製品を世に送り出してきましたが、おもちゃ団地が完成してから約10年が経った1973年、その願いがさらに前に進みます。
    アメリカに会社を設立、その5年後にはカリフォルニアに業界最大級の工場を建設、アメリカ国内売上4位まで躍進しました。
    その後も、ヨーロッパ、香港、シンガポールをはじめとする海外展開を実現、雑貨やマルチメディアといったおもちゃ以外の事業領域を展開。
    ウォルトディズニー・インターナショナル・ジャパンとの包括的ライセンス契約、海外メーカーのM&Aなど、積極的な事業展開によって真のグローバルトイカンパニーを目指し、創設から100年、ひと時も変わらずに想い続けた「世界中の子どもたちのために」を実現してきました。

Route of100→∞

様々な歴史を経験しながらも、
確かな軌跡を残してきたタカラトミーグループには。
100周年を前に掲げたビジョンがある。

私たちを取り巻く市場環境

  • 主要市場である
    日本の少子化

  • ゲーム・スマホ
    市場拡大に伴う、
    従来の3D玩具市場
    の停滞

  • コロナ禍における
    販売機会の減少

  • DX化に伴う
    遊び方や価値観の
    変化

  • 「大人のアソビ心」

    世界的な醸成

  • シニア市場、
    アジア市場の拡大

ビジョン

「おもちゃ」から「アソビ」をすべての基点とする。

アソビで、世界はもっと良くなる。
だからアソビで、
未来のグローバル社会に大きくこたえます。

タカラトミーグループの全社戦略

01

「適所適材」をキーとした
出口・年齢・地域のさらなる攻略

タカラトミーの大きな強みである定番玩具をはじめとした多様なブランド及びIPのターゲット年齢層、市場地域を広げ、グローバルに対象市場を拡大します。対象市場を細かくセグメンテーションした「適所」に対し、多様な「アソビ」心に訴求する「適材」を適切に投入することで収益の拡大を図ります。

02

日本を基点とした
ヒット商品の創出

もう一つのタカラトミーの強み、組織DNAである企画開発力をもって、これまでのおもちゃ開発ではなく「ワクワク・驚き・感動・笑顔」を提供する新たな「アソビ」を開発し、新商品として継続的に市場投入するとともに、ヒットする芽を見逃さずグローバル展開を行います。

03

IP投資の継続で
グローバル成長に備える

定番製品やメガヒットを生むIPについては既存IPを活かすだけではなく、新たなIP創造に向けて自社及びパートナー両方で投資、開発を継続し、そのIPが生む新たな「アソビ」をDXの流れに乗せ世界展開することで収益の柱を増やしていきます。

04

アソビをキーとした
新規事業の立ち上げ

「ワクワク・驚き・感動・笑顔」を提供する新たな「アソビ」を希求する新規事業をインキュベートする組織を構築、人財を投入し、これまでに考え及ばなかった「アソビ」を創出していきます。

05

バリューチェーンへの
DX活用による新しい価値創造

デジタルを活用した消費者直販プラットフォームの追求、マーケティング、企画開発、生産調達、物流、営業活動、スタッフ部門の業務の質と効率をDX活用により向上させ、戦略実行の量と質を増大し、企業価値のさらなる向上を図っていきます。

06

CSRの取組み
サステナビリティ・

環境に配慮した素材、包装、生産物流、廃棄物ゼロを実現する取組みを能動的、積極的に実行し、「ものづくりへのこだわり」「健全な経営の実行」「社会・地域環境との共存」を実現させるべく努力していきます。

これらの全社的な戦略によって
「真の国際優良企業」を目指す。
それはつまり、
「グループの強みを活かした
Sustainable Growth(持続的成長)
実現に向けた基盤整備を行う」
ことを意味している。

創業者の富山栄市郎が富山製作所を創設し、
“0”から始まったタカラトミーグループの歴史。
2024年に迎える創業“100”周年が、
そのすべてを物語る。

タカラトミーグループが
新たなステージとして目指す未来。
それは、「おもちゃ」から「アソビ」への変革。
それは、持続可能な会社と社会が形づくる
明るい未来。

その実現のために、
タカラトミーグループは、本気で取り組む。
その強い想いは、
“∞”の可能性を秘めた
次の100年の新たなる始まり。

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