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留学×?

「Thanks for breakfast, Mom.」
「Not at all, Yuzuki. Have a good day!」

遊月はホストファミリーのママに朝食をいただいたお礼をし、間借りしている自室に戻る。
休日である今日の朝食は、トーストに目玉焼き、ベーコン、それにゆでたビーンズが添えられていた。一般的には“イギリスらしい朝食”のラインナップらしいが、平日はトーストのみだったり、シリアルのみだったりという日が多い。どちらにしても、日本でもなじみのあるメニューなのでありがたい。

遊月は今、ワーキングホリデーの制度を利用して、イギリスで暮らしている。日本のことが大好きな家族の元にホームステイをさせてもらいながら、言語学校に通う日々。さらに週何日か、とある日系のスーパーでアルバイトをして、生活費や学費の足しにしている。学校でもバイトでも英語で会話することになるので、やはり学生時代の授業よりも格段に英語力が身に付く。
とは言っても、やはりはじめは相手の言うことを聞き取ることさえ難しく、ジェスチャーを交えながら、伝わっているのか伝わっていないのかの微妙なラインで会話をしていた。精神的にもつらく、心細い時間が続いたが、そんな時にはホストファミリーが日本アニメや日本食の話をして気分を和ませてくれた。親切で温かい心遣いに、とても助けられたものだ。
今では少しずつ生活にも慣れ始め、英語でのコミュニケーションも楽しくなってきたところだ。

今日は語学学校の授業は休み。午後からはスーパーでのバイトがあるので、朝のうちに宿題を片付けようと、机に向かう。

ひと息ついて、窓の外に目をやった。イメージでよく聞くように、ロンドンは今日も雨――というわけでもなく、曇り空だ。冬を越えても、肌寒い日が続く。今日の日本の天気はどんな感じだろうか、と故郷に思いを馳せる。8~9時間の時差があることを考えると、そろそろ夕方に差し掛かる時間帯のはずだ。

今日はるう子たちがカードショップに行く予定の日である。
かつてバイトをしていたあの店が、閉店を前に残りのカードを安く売ってくれるらしい。店長から連絡をもらい、行けない自分の代わりに行ってみてほしいと、るう子に連絡をしておいたのだ。その時は考えてみる、という返答だったが、そのあとSNSに今日カードショップに行くことを投稿していたし、行ってくれることにしたのだろう。本当は自分も行きたかったが、さすがにカードを買うために往復の飛行機代を支払うのはつらいものがある。みんなが久ぶりに集まって、わいわいと楽しんでくれたらいいな、と思う。

ふと、テーブルの上に置いてある写真立てに目をやる。そこにはセレクターバトル後、みんなで撮った写真を飾ってある。るう子にひとえ、タマに緑子――花代もいる。
そして写真立てのとなりには、放置したままのとある手紙。

『△月△日 挙式 ××時
披露宴 ××時
場所:□△×ホテルにて』
――それは香月からの、結婚式の日取りや場所を知らせるものだった。

「花代さん……私たち、どうするべきだったんだろうね」

遊月は短く切った黒髪を揺らし、頬杖をついた。


――約1年前。

輸入食品会社に入社して、何年か経った頃――店舗での販売研修を終え、営業事務として働いていた。仕入れ先の新規開拓や、仕入れた商品を売り込む小売店との交渉などをする営業職をサポートする仕事だ。書類の作成やメールの対応、時には営業さんに頼まれて、ネットで情報の下調べなどを行う。オフィス勤務のため、学生時代よりも少し下の位置で髪の毛を結び、服はスーツのセットアップというのが、仕事のときの定番スタイルになっていた。

「遊月……?」
とある日の仕事に疲れた帰り道、聞き覚えのある声に呼び止められ――振り返ると花代の姿があった。

「えっ、花代さん……!?」
思ってもいない再会に、周りの目も気にせずに叫んでしまう。花代は中学時代からすでに大人びた雰囲気を持っていたように思うが、その雰囲気はそのままながら、スポーティでカジュアルな格好をしていた。
“少し意外だな”と思ったことを覚えている。

花代とはセレクターバトルを経て、確かな友情を築けたと思う。しかし、花代が『遊月』として過ごしている間、本当に香月のことを好きになってしまった件で、お互いにどこか気まずさを感じていたのも事実だ。そのためか、セレクターバトルが収拾し、中学卒業、高校入学と、だんだん疎遠になってしまっていった。

「えっとー……花代さん、このあと予定ある?もし大丈夫なら、居酒屋とか……行かない?」
二言三言交わしたあと、なにを話すか迷った遊月は、気付けば花代を誘っていた。

「そうだね。せっかくだから、このまま飲んで帰ろうか」
花代が快諾してくれたことに内心安堵しつつ、お酒の力を借りながらなら、ざっくばらんに会話を楽しめるかもしれない――この時、遊月はそう期待したのだった。


「花代さんは、今なにしてるの?」
ピーチオレンジのカクテルを片手に遊月がそう切り出すと、なぜか花代は「ふっ」と笑い出す。
「さっきも思ったんだけど、まだ『さん』付けで呼ぶんだ?」
花代はレモンサワーの氷をマドラーでくるくる回しながら、遊月を見る。全く気にしていなかったことに突っ込まれ、遊月は思わず焦ってしまった。

「えっ!?だ、だって最初から花代さんだったし……っていうか、花代さんは花代さんだしっ!?!?」
「あははは、別にいいけど。しかも、それ絶対、脳内では簡単なほうの『花』で呼んでるでしょ」
「う、うん……ごめん」
「謝らなくて大丈夫。まぁどっちも私だし、そのままでいいよ」

確か花代の本当の名前は、難しいほうの『華』だったはずだ。この際、呼び捨てにする?――とも一瞬考えたが、そのままでいいと言ってくれている。人によってはこだわりそうなところではあるが、形はどうであれ人格は同じだ。『花代さん』として彼女に出会った遊月にとっては、やはり『華代』ではなく『花代さん』のほうがしっくりくるな、と思う。

「私は今、ジムでトレーナーとして働いてる」
それは割と意外な返答だった。花代が運動好きという印象はなかったからだ。しかし、確かに今日の格好を見ると納得する。

「はじめはダイエット……っていうか、スタイルを保つためにジムに行き始めたんだけどね。そのとき、体づくりの奥深さを知ったというか」
「へぇ……確かにストイックで自分に厳しい花代さんらしいかも」
そう聞くと、毎日記録をつけながら、体重や筋肉量を気にしている花代の姿は容易に想像がついた。今注文している料理も、鶏肉や魚が多いのは気のせいではないのかもしれない。そういえば、最初に口にしたのは、しっかりサラダだっだ。

「そのうちに、どうトレーニングしたらいいか悩んでいる人にアドバイスとかしてあげられるんじゃないかって思うようになって」
「へぇ~そこまで極めちゃったんだ」

体形のことを考えて、意識している人を目の前にすると、急に自分のことが心配になってくる。
「私、仕事がら新しい食品を試食するとか、市場調査として色々食べることが多いからなぁ……運動しないとまずいかも」
今日も営業さんが買ってきたお菓子をたくさん食べてしまった。なんとなく、スーツのウエストがきつくなってきたかもしれない。

「今なら入会金が無料になるキャンペーン中!」

すかさず花代がジムの売り込みをしてくるので、遊月は笑ってしまった。

「もしかして……花代トレーナーは、スパルタ?」
「そんなことはないと思うけど……どうだろう」
想像する限りでは、花代は生半端なことは許さないタイプのような気がする。
「でも、本人の目標があるのなら、それに向けて最善のサポートをしているつもり」
確かに、それがその人のためになっているのなら、ある程度の厳しさも必要だ。あと10回やらなきゃ……!というときに、つらいからといってやめたら身にならないだろう。

「じゃあ、私がしっかり頑張ってトレーニングしたら、褒めてくれる?」
「本当に頑張ったらね」

ニヤっと笑う花代に、当時の面影を感じて少し嬉しくなる。
思ったよりも、自然に気兼ねなく会話を楽しめていた。わだかまりなど感じず、これからも友人として接していきたい……そう思った。
さらに新しいお酒を頼み、楽しい雰囲気もあいまって、遊月はいい気分になっていた。

「そう言えば、香月も最近ジムに行き始めたって言ってたな」
「……そうなんだ。じゃあやっぱり遊月もやるべきだね」

「だよねぇ」
つい、香月の話題を出してしまったことを、すぐに後悔した。ふたりは何事もなかったかのように会話を続けたが、確かに一瞬の間があった、気がする。それ以降、遊月は香月の名前を出さないようにした。

そのあとは、仕事の愚痴やおもしろいお客さんの話など、他愛もない会話を楽しんだ。やはりお酒の力は偉大なのかもしれない。最後にはまたみんなも一緒に会いたいね、とまた連絡をする約束をして、解散したのだった。


そして、あの香月の名前が出たときの不自然さの理由は、数日後に分かることになる。

「遊月、ちょっといい?相談があるんだけど……」
「香月が私に相談なんてめずらしいね。どうしたの?」
「実は……今、好きな人がいるんだ」
まさか、香月から恋愛の相談を受けるとは。思ってもいない出来事に、遊月は内心の動揺を表に出さないように努力をしなければならなかった。
「へ、へぇ……そうなんだ。それで?」
「結構頑張ってアタックしてるつもりなんだけど、うまいことかわされている気がして……これって脈なしなのかな?女性の考えを聞かせてほしくて」

「相手は通っているジムのトレーナーさんなんだけど……」
「ジムの……トレーナー?」
「まさか」と思い、どんな人なのかと聞いてみれば、その特徴は花代に一致した。
動揺はさらに大きくなり、心臓の音がどんどん早くなる。
「そ、そんなに猛アタックするほど、好きなんだ……?」
香月曰く、どこかで会ったことがあるような運命的なものを感じるのだと言う。遊月からしてみれば、それは自分と入れ替わって過ごしていた時期があるからではないかと思うものの、言えるはずもない。

「あ……ごめん、香月。ちょっとやること思い出した……また今度聞くよ」
「ちょっと、遊月……!」
返答に困った遊月は、今日は仕事の調べものをしなくてはならない、とごまかすしかなかった。
はや足で自室に戻ると、すぐにドアを閉め、ベッドに身を投げた。

『香月が……花代さんを……花代さん自身のことを好きに……』
本来の姿の花代に、香月は出会っていたのだ。
あのとき――花代は、香月に好意を向けられていると自覚していた。だから遊月と香月の話題について話すのは、気まずかったのだろう。

――心臓は変わらずドクドクと脈を打っている。
さすがに遊月の香月への恋心には決着がついている。と自分では思っている。――はずだった。本来であれば、香月の恋を応援してあげるべきだ。相手が花代だとしても。むしろ知り合いだからこそ、三人で食事の機会を設けたり、二人きりになれる時間を作ったり、協力できることはたくさんある。それどころか、花代は香月のことを好きな時期があったのだ。そんなことをしなくても、二人がうまくいくまで時間はそんなにかからないかもしれない。そして、めでたくうまくいったあかつきには、自分も祝福するべきこと――。
なのに、それをできない……したくない、そう感じてしまっている自分がいる。
ここまできて、自分は何も変われていなかった、成長できていなかった。遊月はなにより、そんな自分に一番ショックを受けたのだった。

「このままじゃダメだ……」

環境を変えよう――そう思ってからは、早かった。いつまでも“ここ”にいるから良くないのだ。思い切って海外に行くのはどうかと考えた。
仕事で海外について調べることも多く、営業さんたちは英語や他の外国語を話せる人ばかりなので、もともと少し興味を持っていたということもある。
お世話になっている先輩に話してみると、ワーキングホリデーをおすすめしてくれた。その後の仕事にも活きるからと、会社的にも休職して行くことも許可してくれるということだ。実際、営業さんの中には、ワーキングホリデーの経験者も多いらしい。
語学留学とは違って就労が可能なため、現地でアルバイトをすれば収入を得ることも可能だという点も魅力的に感じた。まだ社会人数年目で貯金に余裕がない遊月にとって、願ったり叶ったりの条件だった。

イギリスは、世界地図を見たときに、聞き馴染みのある国の中から日本から横に一番遠いからという単純な理由で選んだ国だ。調べてみれば、ワーキングホリデーで滞在できる期間が、珍しく1年以上、2年まで認められているらしい。パスポートはすでに持っていたので、すぐに申請をして、無事ビザを得る事ができたのは幸運だった。

話を聞くことができる経験者の先輩が近くにいることがとても大きかった。語学学校やホームステイ先の選定など、本来は、6か月ほど前から準備を進めるものらしいが、遊月は3か月で全てを終えることができた。その間は仕事をしながら、最低限の英語の勉強もしていたので、とてもあっという間に過ぎていった気がする。
「また連絡する」と約束した花代には、連絡できないまま――。


「耳の下ぐらいまで、ばっさりいっちゃってください」
日本を発つ前日、最後に荷物のパッキングを終えた遊月は、いつもの美容院で髪の毛を切った。はじめてショートカットにするため、少し緊張したが、わくわくも大きい。ずっと担当してくれていた美容師さんは、驚きながらも「絶対似合いますよ」と言ってくれたので、安心して任せることができた。
髪にハサミが入る度に、もう後戻りはできない、前に進むのみなのだと気合が入っていく。
結果的に気持ちも軽くなり、切って正解だったと思う。

そして出発日。
香月は最後まで寂しがっていたが、検査場を抜けた遊月は、振り返ることなく真っ直ぐに搭乗口まで向かっていった――。


実際にイギリスに来てしまってからは、うじうじと何かに悩んだり考え事をしたりする暇もなく、勉強にバイトにと慌ただしかった。人によっては、遊んでワーキングホリデーを終えてしまうことも多いようだが、遊月は会社を休職させてもらっている手前、絶対に英語やその文化を吸収して帰らなければならない。
だからといって勉強だけではせっかくの海外生活、得られるものが限られてしまう。自分を奮い立てて積極的にコミュニケーションをとることで、空き時間にお茶をするような友達をつくることもできた。日本で生活しているときよりも、いい意味でフランクに接する感覚が身に付いたような気がする。
他にも、観光地をまわって映画の中のような街並みを歩いたり、古くからの建築物や芸術品などを見たりと、イギリスと堪能している。会社に復帰してから役立つように、日々の生活では食品や食文化にも注目していて、難しい作業がなさそうだからと選んだスーパーのバイトも、そういう点でちょうど良かったとあとから思った。

そうやって生活している中で、香月からはたまに電話が来ていたが、ほとんど出ていない。
数か月経ったころに、メールで花代にフラらたという報告があった。付き合うかもしれない、となかば思っていただけに、その内容を見たときは少し意外だった。花代はジムのトレーナーもやめてしまったらしく、もしかしたら彼女も環境を変えたかったのかもしれない……となんとなく思った。
ジムトレーナーの仕事のことを、あんなに楽しそうに話していたのに。また別の仕事をしているのか、それともただジムを変えただけなのか。
連絡をしてみようか……そう思って一度はスマホを手にしたのだが、どう切り出すべきかわからず、結局やめてしまった。

そしてそこからさらに1年近く経ったころ――香月からこの結婚式の招待状が届いたのだった。メールで近況を知っていたため、香月に彼女ができたことは把握していた。花代にフラれたあとに仲良くなり、付き合った相手だ。確か、何歳か年上の女性だったと思う。
しかし、まさかこんなにもはやく結婚の報告を聞くことになるとは……。我が弟ながら決断力があるというか行動力があるというか……。

「結婚って……私たちまだ24歳なんだけど」

返事はいまだに返していない。
さすがに身内である――結婚式に出席しないわけにはいかないだろうが、素直に『出席』に丸をする気分にはなれない。ありがたいことに、今は他にやるべきことがたくさんある。遊月は手紙を机のすみに追いやって、かわりに英語のテキストを開くのだった。

――コン、コン。
部屋の扉をノックされる音がした。
「Yes.」
扉を開けると、ホストファミリーのパパが荷物を手渡してくれた。
「荷物……?なんだろう。Thank you.」
お礼を言って扉を閉じる。
「……特になにも届く予定はなかったと思うけど」
身に覚えのない荷物だが、確かに宛名は自分あてのようだ。ちょうど両手のてのひらに乗るぐらいのサイズで、少し重い。

「送り主は……カードショップ……?店長にここの住所教えたっけ?」
遊月は不思議に思いながら、小包を開けた――。

タカラトミーモール